大野正夫(高知大学名誉教授)海藻資源・技術・温暖化問題 資料集(引用可)
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これまで、海藻産業や海藻養殖などに関わった方々について、追悼文や交友録として多くの冊子に執筆してきました。これらの寄稿は、日本の戦後の海藻分野の足跡の記録ともなりますので、写真集とともに残したいと思います。順序不同となりますが、逐次掲載してゆきたいと思います。
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この報告は、四国総合総合研究所(四国電力)と高知大学の共同研究プロジェクト成果である。1998年に各種の漁礁を伊方町地先に設置した。その後、追跡調査を2年間行い、2年後の漁礁への海藻の着生状況と魚介類の蝟集結果をまとめたものです。 |
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JICA専門家としてスリランカのキリンサイ養殖を視察
大野 正夫 高知大学名誉教授
2023年6月18日、スリランカ東部、ジャフナ―沿岸のナマコとキリンサイの養殖場視察。キリンサイ養殖はモノライン(杭にロープを張る)で、小規模に行われている。JICAはキリンサイ養殖の大規模養殖法の導入を支援し、派遣された。
土佐湾のおける熱帯性海藻ネッタイキリンサイKappaphycus alvareziiの養殖の現状と展望
大野 正夫 高知大学名誉教授
キリンサイ養殖の開発の足跡
食用“キリンサイ”と称されている海藻は沖縄海域繁茂しており、和名はカタメンキリンサイであることは多い。宮古島や八重山諸島では、郷土料理の食材になっている。
熱帯性キリンサイのKappaphycus alvarezii Doty and Dotyは、海藻粘性多糖類として、プリン、コーヒーミルク、化粧品などの素材となるカラギナンの原料として、フィリピン、インドネシア、ベトナムやタンザニアなどの熱帯海域で大規模に養殖が行われている。
熱帯海域で養殖されているキリンサイは、学名K. alvareziiであるが、養殖業者や仲買人は“コットニー”と呼んでいる。これは、キリンサイ養殖が開始された頃は、学名がEuchuema cottoniiであったので、そのまま、“コットニー”の名が使われている。K. alvareziiには、赤褐色型(brown type) と遺伝的にphycoerythrin (紅色色素)が欠如した青緑色型(green type)がある。養殖種苗には、環境条件により二つのタイプを選択して行われている。青緑型が環境に強く、最近は多くのところで青緑型を種苗にしている。
1991年に農林水産省と民間との共同投資の大型プロジェクトで設立した(株)海藻資源研究所(現在は解散)の主要な研究テーマとして、K. alvareziiの葉体からレクチンや機能性成分を抽出し商品化する10年間の研究が開始した。レクチンがたんぱく質であるために、研究には通年K. alvarezii生試料が必要であった。K. alvarezii は和名が付けられていなく、ネッタイキリンサイと名付けた。
1992年5月に、サンカルロス大学のDanilo B.Largo教授(当時高知大学院生)が、フィリピンのセブ島の近くのボホール養殖場から、セブ島のサンカルロス大学臨海実験所地先の海中に青緑色型と赤褐色型のキリンサイを運び養成していた。早朝、総量約2kgを濡れタオルで包み、さらに新聞紙で包み、ビニール袋にいれスーツケースに入れて高知に持ち帰った。
キリンサイ葉体は12年間の5月から11月までは、海面養殖で成長し実験試料とした。12月から翌年の春季までは、高知大学と海藻資源研究所所有のアクアトロン(50㎝x50㎝x50cmのアクリル製の水槽に時々換水させた恒温・閉鎖・通気水槽)で、23度に温度調整をして育成させた。葉体は徐々に重量は増し実験試料にした。適時採取していたが、約20㎏の試料を維持保存した。
タンク培養をしていると葉体の一部が透明になる病気が発生した。当時はアイス・アイスという病原菌であると思われていたが、Largo氏は、博士課程の研究テーマとして、キリンサイの病気について行い、特殊な菌がキリンサイを痛めるのでなく、環境の悪化や葉体の傷からバクタリアが葉体の中に侵入していうということをつきとめた。
海藻資源研究所が12年間で終了後は、高知大学でキリンサイ株の管理を行った。冬季のキリンサイ苗の保存に温度を24度に保つためヒーターにより温度調機器で調整した屋外(屋根付)天然光によるタンク培養を開始した。冬季のタンク培養で、タンク内に流れ込む泥にバクテリアが繁殖して全滅に近いこともあったが、2015年以後は、ほぼ5割の越冬に成功させた。2017年には海面養殖は小割生け簀で、網による養殖にも成功して、土佐湾におけるキリンサイ養殖技術は確立した。土佐湾で養殖していたネッタイキリンサイは、ベトナム、インド、ミヤンマーへ移植して、現在、事業規模で養殖が行われている。
ロープによる海面養殖
海面養殖は、魚類養殖に使われていた10mx10mの生け簀浮き台を用いて20本のロープに、約20cm間隔に、越冬タンク培養されていた種苗を手のひら程度に分割して、プラステック紐(ひも)で結びつけたロープは、約水深50㎝にアンカーを両端につけて沈下した。養殖区域の水温は5月上旬に20℃以上になり、6月に23℃、7月に24~28℃、8月に29~32℃になる。9月より水温は低下して25~28℃、10月から12月なで徐々に低下して行き20℃になると海面養殖を終了した。葉体は6月に入って水温の上昇とともに成長速度は増大し、日間成長率は3~4 %に達した。
9月には日間成長率は5 %以上になり、1週間で葉長、重量とも2倍以上の増加がみられた。降雨や雨天で成長は遅くなり、日間成長率も変動した。
6月の梅雨期には降雨により塩分の低下が著しく19~24psuになり、成長速度は落ちた。夏季になると塩分が上昇して29 ~32 psuとなった。夏季の30℃を越すと成長は遅れる。9月から11月の期間、水温が23-28℃の期間に成長速度が最も高くなる。この期間が収穫とともに分割して、再度手のひらの大きさの葉体をロープに取り付けた。
これまでの海面養殖で、越冬したⅠ㎏の種苗を海面養殖すると、12月養殖終了時に70~100㎏の収穫量となった。梅雨の塩分低下と夏季の高温は生産量に大きく影響を与えた。
網を用いた海面養殖
現在外海での養殖では、ロングライン方式で養殖が行われているが、ロープから波浪で葉体が落ちる量が多い。そこで、外海用には網袋に葉体を入れて、キリンサイの養殖を試みた。新しい葉体は網の外で伸長した。問題点は網の素材であった。クレモナ糸は太いと汚れが著しい。海苔網の素材で行ったが、網の汚れも少なく、挿入する種苗を大きくすれば良い。今後の外海のキリンサイ養殖では、網にキリンサイを挿入した養殖法の開発が課題でなるであろう。
種苗の越冬タンク培養
11月末より水温が20度以下になると藻体の成長が止まり、葉体は柔らかくなり色調が
黄緑色をおびてくる。毎年海面水温が20℃に近づくと、越冬の準備を開始した。
藻体は屋根付きの飼育棟に設置された1トンタンクに約20㎏を収容しわずかづつ海水を注入した。ヒーターで加温して調節機器で水温を23℃に保ち、ばっ気をした。冬季の屋外水槽培養で、葉体はわずかに成長をする状態で培養をした。5月になり海水温が20度以上になった頃から海面養殖方式に移すことを毎年行い、保存株が維持されてきた。
2020年12月より、高知市の海岸に近いところで、地下海水でアオノリのタンク培養を行っているところがあり、その敷地内にタンクを置き、地下海水でタンク培養を行っている。地下海水は、冬季でも水温は18度以下には下がらず、ばっ気をすると珪藻の繁殖が著しいので、ばっ気もヒーターも使わず、光調節だけをした状態で、良好な生育をしている。
日本における熱帯キリンサイの展望
ネッタイキリンサイの成長速度は、長年の土佐湾の養殖で、23~28 ℃の水温になると1週間で倍増し、日間成長速度は4 % 以上になることが多かった。フィリピンでの事業化されたキリンサイ養殖での日間成長速度は、4~5%であり、土佐湾のキリンサイ葉体の成長速度と似た値であった。ネッタイキリンサイの成長は、11月水温が23℃ 度より低下すると成長速度が低下し、藻体からの“ぬめり”成分が少なくなることが確認された。しかし、冬季18度の水温でも成長は遅れるか、正常に生育することがわかった。従って、種苗をタンク培養で確保しておれば、5月から11月まで、20度以上になる日本の多くの海域でキリンサイの養殖は可能であろう。
但し塩分の高い状態の方が生育は良好である。15 psuほどの低塩分でも耐えて生育を続けることがわかったが、梅雨の季節の管理が重要であろう。藻食魚類にいない砂地の海域が、養殖場として適している。
土佐湾でキリンサイ養殖が継続できたのは、イタリア料理やフランス料理の食材としての需要があったためである。乾燥粉末は蒲鉾やジースなどに、わずかの量を添加すると粘性や食感にも好評であるので、今後はこの分野の用途も開拓できるであろう。現在、海藻肥料としての効果も認められている。これらの需要が増せば、日本でのキリンサイ養殖は継続されるであろう。
寄 稿
冊子「し尿の洋上処理と水産増殖(―資源化への展望―)」の紹介
高知大学名誉教授 大野正夫
1980年(昭和55年)に、上記のタイトルのB5版115頁の冊子が刊行された。この研究の発端は、汲み取りし尿処理水の海洋投入が1990年より全面的に行わなくなることが国会で決議された。そこで海洋投入を行っている会社・団体が中心となって、海上処理船を建造して、し尿を発酵処理し資源化したものを、海洋投入できないかというプロジェクトが始まった。当時、株式会社来島グループが、船内でし尿を発酵する装置の船を作ることでこのプロジェクトに参画した。
霞が関のこの関係の若手官僚は、し尿でない形になれば、海洋投入ができる可能性があると前向きに検討をした。
しかし、この冊子が刊行して間もなく、造船業不景気時代に突入して、推進の旗を振っていた来島ブループ協同研究所内で、この分野の開発がストップしてしまった。
もし、1990年までの間に、1隻でも、建造されておれば、し尿処理の方向がかわったもしれない。1990年からし尿処理は、陸上処理で行うことになり、各地に陸上処理施設が建設されて、窒素やリンの量を極端に低い状態で排出するようになり、海の栄養分が枯渇していった。
この冊子は、30年以上、私の書庫に置かれたままであり、当時旗振りをしていた仲間も逝去してしまっている。
今は排出する下水の栄養分を多くして海洋に出すしかない。江戸時代は、し尿は重要な資源であり日本の農業を支えた。し尿を海洋投棄する時代になって、1980年代までは、海の栄養塩を高めることに役立っていた。瀬戸内海の豊かな海はし尿が関わっていたと聞く。日本沿岸の海洋環境を変えたのは温暖化だけでなく、栄養不足である。
この冊子には、将来参考になる資料が多く含まれているので、海の森つくり推進協会に転載する。
